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評価:
松岡 正剛
日本放送出版協会
¥ 1,218
(2006-09)
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松岡正剛が古代から現代にいたる日本文化、日本思想史をつづった本。徳川幕府が何故開国したのか。それはペリーが開国を迫ってきたし、ペリーの他にもイギリス、フランスなど帝国主義国家が開国を迫ってきたから。さらには清がヨーロッパの植民地にされそうだったため、近代化を果たさねば、日本もインドのような植民地になるのではないかという危惧まであったため。これらは日本史的な常識だけれど、松岡正剛の指摘によって、何故徳川幕府が鎖国したのかがよくわかった。
織田信長は鉄砲を使ったし、豊臣秀吉は朝鮮、明に侵略しようとした。日本は戦国時代のまま進めば、スペインやイギリスのような植民地主義の「帝国幕府」を造っていたかもしれないのだ。何故徳川家康が鎖国をしたのか、鉄砲を廃止し武器を刀だけにしたのか、これは豊臣秀吉の大陸侵攻が失敗したためだと著者は指摘する。日本史上は正面きって記述されないけれど、韓国の人で嫌いな日本人といえば、豊臣秀吉と伊藤博文だという。
徳川家康は鎌倉幕府を模範とする封建政治を採用する。下克上ありの実力主義をやめて、戦争のない社会を作り上げる。この政策は成功し、日本はアジア周辺およびヨーロッパ世界の帝国主義政策から隔離されるわけだが、明治で急に近代化を果たし、ヨーロッパに対抗する植民地政策を実施していく。
日本陽明学の系譜についての解説も独特で面白かった。日本に輸入された陽明学は、中国にはない独特の思想展開をみせていくという。儒教においては時として悪政を行う為政者に対して、家臣が強くいさめることはよしとされる。こうした善政の教えをよりラディカル化した行動主義が陽明学である。旧態依然として、親孝行を第一とする、礼儀重視の古臭い儒教というイメージに反して、日本の陽明学では行動と改革がよしとされる。藤田藤樹、熊沢蕃山、伊藤仁斎、吉田松陰等といった日本陽明学の系譜は明治維新、すなわち革命の原動力にまでなる。
こうした陽明学が、何故戦後教養の場から姿を消したのか。著者は、昭和に起きた青年将校による数々のクーデターは、陽明学の教えを背景にしていたと指摘する。上が天の観方からして正しくない政治をしているなら、力づくでも正すこと。フランス革命は勃発直後ロベスピエールらによる恐怖政治が台頭したが、日本では明治の革命から数十年後になってようやく、革命の原動力たる思想があまりにラディカル化しすぎた結果、軍部の暴走をまねくことになった。故に戦後、陽明学は衰退したというのが松岡正剛の見立てである。
司馬遼太郎は、小説の主人公に陽明学徒をよく登用する。司馬は昭和になって、軍部が「統帥権」を主張し始めてから、日本の歴史はおかしくなったと繰り返し指摘しており、明治の日本と昭和の軍部独裁時代の日本は、まるで異なるものだと指摘している。しかし、松岡の考えによれば、明治維新の究極的発展形態が、昭和の軍部独裁となる。両者には陽明学が等しく流れている。軍部の権力は内閣から独立しているという主張は、自己の上に天しかおかない思想の極大解釈なのだ。
それでも私は陽明学が好きだし、陽明学なくして明治維新はなしえなかったと思う。高杉晋作は西洋人は何故あのような文明を築いたのか不思議に思い、聖書をひもといたという。高杉は聖書を読んですぐ、これは陽明学ではないかと思ったそうだ。このエピソードの記述が、一番印象深かった。
日本は西洋文明を輸入したが、そこに根づくキリスト教の倫理観は輸入しなかったとよく指摘される。しかし、日本には近代化以前から世界にもまれにみる高度な哲学、倫理観があった。それはしばしば武士道として賛美されるが、陽明学と禅宗をはじめとする仏教と神道と古学が入り混じった流動的観念だった。何故昭和以降かつてあった倫理が消されて、科学技術だけが残ったのか。陽明学が現代人にフィットしなかったというのでなく、実は陽明学が軍部独裁を生み出したから。こうした仮説は面白い。
しかし、戦後はアメリカ流の民主主義の理想が植えつけられたはずだ。何故民主主義の理想と戦争放棄の理想がすぐに取り消されて、自衛隊ができたのか。ここには朝鮮戦争やベトナム戦争の勃発など、アメリカのアジア、ソビエト戦略が関わってくるだろう。