<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

スポンサードリンク * - * * - * -

宇宙を復号する―量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号

JUGEMテーマ:読書


久々の更新です。しばらく小説家になりたいのかただお金が欲しいだけなのかよくわからない放浪生活を送っていましたが、これからは本腰を入れて、今後の世界にとって有益な情報の発信につとめて生きたいと思います。

さて、最近私は人文系の学問を離れて、数学および物理学の最新動向に興味を惹かれています。特に面白かった本は、サイフェという博士号を持つサイエンス・ライターが書いた「宇宙を復号する」という本です。

今年一番面白かった本と言ってもよいほど、読み物としても面白かったです。最新の宇宙情報理論を知ることができました。物理学と数学にコンプレックスを持つ人文系の人にこそ読んでいただきたい優れた内容の教養書です。
春昼 * 日記 * 00:17 * comments(2) * trackbacks(0)

ちょっと本気な千夜千冊虎の巻―読書術免許皆伝

ウェブ上で連載されていた千夜千冊が本になったことを記念して刊行された紹介本。千夜千冊をウェブで読むのはそんなに面白くないんだけど、本として読むのは面白そうだと思った。

この本の中でも多数興味惹かれる本と出会った。特に1001冊目の本となった、超ひも理論についての解説本『エレガントな宇宙』は早速昨日買ってきたし、自分の不得意分野だったポピュラー・サイエンスの本を今後は購入していこうと思った。別に数式を知らなくてもいいのだ。科学知識が今どうなっているのか、一般教養としてわきまえておくことが必要そうだ。ポアンカレ、ファインマンなどの一般向け著作を読んでみたい。

さて、松岡正剛の知識量は尋常ではないような印象を受けるけれど、彼は近世風の知識人像、ファウスト博士とかヘーゲルのような、世界の万物について知っている知識人を目指しているのだろうか。現代では専門化がすすみすぎて、隣の知識がどうなっているかよくわからないけれど、自分自身で問題系をたてて、それほど専門的に深入りせずに、専門家が一般向けに書いた本をたくさん読んでいくこと。こういった一般教養的読書の面白さを探求することは、知識の細分化が進みすぎた現代においても有効そうである。

春昼 * 哲学 * 21:04 * comments(0) * trackbacks(0)

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化

松岡正剛が古代から現代にいたる日本文化、日本思想史をつづった本。徳川幕府が何故開国したのか。それはペリーが開国を迫ってきたし、ペリーの他にもイギリス、フランスなど帝国主義国家が開国を迫ってきたから。さらには清がヨーロッパの植民地にされそうだったため、近代化を果たさねば、日本もインドのような植民地になるのではないかという危惧まであったため。これらは日本史的な常識だけれど、松岡正剛の指摘によって、何故徳川幕府が鎖国したのかがよくわかった。

織田信長は鉄砲を使ったし、豊臣秀吉は朝鮮、明に侵略しようとした。日本は戦国時代のまま進めば、スペインやイギリスのような植民地主義の「帝国幕府」を造っていたかもしれないのだ。何故徳川家康が鎖国をしたのか、鉄砲を廃止し武器を刀だけにしたのか、これは豊臣秀吉の大陸侵攻が失敗したためだと著者は指摘する。日本史上は正面きって記述されないけれど、韓国の人で嫌いな日本人といえば、豊臣秀吉と伊藤博文だという。

徳川家康は鎌倉幕府を模範とする封建政治を採用する。下克上ありの実力主義をやめて、戦争のない社会を作り上げる。この政策は成功し、日本はアジア周辺およびヨーロッパ世界の帝国主義政策から隔離されるわけだが、明治で急に近代化を果たし、ヨーロッパに対抗する植民地政策を実施していく。

日本陽明学の系譜についての解説も独特で面白かった。日本に輸入された陽明学は、中国にはない独特の思想展開をみせていくという。儒教においては時として悪政を行う為政者に対して、家臣が強くいさめることはよしとされる。こうした善政の教えをよりラディカル化した行動主義が陽明学である。旧態依然として、親孝行を第一とする、礼儀重視の古臭い儒教というイメージに反して、日本の陽明学では行動と改革がよしとされる。藤田藤樹、熊沢蕃山、伊藤仁斎、吉田松陰等といった日本陽明学の系譜は明治維新、すなわち革命の原動力にまでなる。

こうした陽明学が、何故戦後教養の場から姿を消したのか。著者は、昭和に起きた青年将校による数々のクーデターは、陽明学の教えを背景にしていたと指摘する。上が天の観方からして正しくない政治をしているなら、力づくでも正すこと。フランス革命は勃発直後ロベスピエールらによる恐怖政治が台頭したが、日本では明治の革命から数十年後になってようやく、革命の原動力たる思想があまりにラディカル化しすぎた結果、軍部の暴走をまねくことになった。故に戦後、陽明学は衰退したというのが松岡正剛の見立てである。

司馬遼太郎は、小説の主人公に陽明学徒をよく登用する。司馬は昭和になって、軍部が「統帥権」を主張し始めてから、日本の歴史はおかしくなったと繰り返し指摘しており、明治の日本と昭和の軍部独裁時代の日本は、まるで異なるものだと指摘している。しかし、松岡の考えによれば、明治維新の究極的発展形態が、昭和の軍部独裁となる。両者には陽明学が等しく流れている。軍部の権力は内閣から独立しているという主張は、自己の上に天しかおかない思想の極大解釈なのだ。

それでも私は陽明学が好きだし、陽明学なくして明治維新はなしえなかったと思う。高杉晋作は西洋人は何故あのような文明を築いたのか不思議に思い、聖書をひもといたという。高杉は聖書を読んですぐ、これは陽明学ではないかと思ったそうだ。このエピソードの記述が、一番印象深かった。

日本は西洋文明を輸入したが、そこに根づくキリスト教の倫理観は輸入しなかったとよく指摘される。しかし、日本には近代化以前から世界にもまれにみる高度な哲学、倫理観があった。それはしばしば武士道として賛美されるが、陽明学と禅宗をはじめとする仏教と神道と古学が入り混じった流動的観念だった。何故昭和以降かつてあった倫理が消されて、科学技術だけが残ったのか。陽明学が現代人にフィットしなかったというのでなく、実は陽明学が軍部独裁を生み出したから。こうした仮説は面白い。

しかし、戦後はアメリカ流の民主主義の理想が植えつけられたはずだ。何故民主主義の理想と戦争放棄の理想がすぐに取り消されて、自衛隊ができたのか。ここには朝鮮戦争やベトナム戦争の勃発など、アメリカのアジア、ソビエト戦略が関わってくるだろう。
春昼 * 哲学 * 00:28 * comments(0) * trackbacks(3)

君あり、故に我あり―依存の宣言

評価:
サティシュ クマール
講談社
¥ 1,155
(2005-04)
近代インドの生き生きとした家庭教育の描写や高名な思想家との対話が秀逸
近代インドの生き生きとした家庭教育の描写や高名な思想家との対話が秀逸
分離する個人の哲学から相互共生の哲学へ。暴力から非暴力へ。久々にとてもすばらしい本と出会いました。一般書店にはあまりおかれていない講談社学術文庫だし、目立っていないけれど、これはよい本です。

ガンジー思想に触れた元ジャイナ教徒の著者が世界を旅し、ラッセル、マーチン・ルーサー・キング、シューマッハらと対話していきます。

それら現代の知性との対話よりも、子どもの頃の著者に語りかけるお母さんの話が一番素晴らしいと思いました。世界中の、近代化されていないたくさんの村にこうした知性が今も息吹いているのでしょう。

著者の説く東洋的、ホリスティック(全体的)哲学を曲解すると、全体主義ともとれます。しかし、トータリズムとホリスティック哲学は似て非なるものだと感じました。先の大戦の日本は、全体主義的国家でした。国家の行動が第一義であり、国家の意志があれば、人命も思想の自由もありませんでした。ホリスティック哲学は、国家の意志に全てを従属させる思想ではなく、人間が接している環境全てに心を配る態度なのだと思います。ホリスティック哲学はまた、非暴力を重んじます。対して全体主義は国家による暴力を肯定しています。地球規模で平和を考えるホリスティック哲学こそ、これからの時代必要になるでしょう。
春昼 * 東洋思想 * 22:54 * comments(1) * trackbacks(58)

俘虜記

大岡 昇平
新潮社
¥ 660
(1967-08)
俘虜とは何だろう?
私にとっては小説でなくノンフィクション
西洋のヒューマニズム?『アーロン収容所』と読み比べてほしい
先週「男たちのYAMATO」を見た。もっと愛国心とナショナリズムをばりばり煽ってくるプロパガンダ映画かと思っていたけど、みたらまあ政治思想的に当たり障りない内容で普通によかったなと思ったけど、アマゾンのDVDレビューみたら戦争体験者などからめっためたに批判されていて、日本も捨てたもんじゃないなと思えた。その場で何度か言及されていたのが、この小説。実際に戦争を体験した人が書いたもの。本棚にずっと眠っていたけれど、ようやく読む理由を与えられた。

最近たくさんの人がブログを書いているから、小説、まして文学作品に存在理由なんてあるのかと思える。けれど、よく考えると、太平洋戦争を経験した人も山ほどいる。様々な人が戦争を体験しており、多くの人が手記や日記を残しているが、大岡昇平のこの体験記風小説は、何年先も大切に読み継がれるだろうと思う。どんなにたくさんの人が同じ一つのことについて書いていても、書く責任、義務というものが存在するようだ。
春昼 * 文学 * 22:00 * comments(0) * trackbacks(8)
このページの先頭へ